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ポインセチア

2004年12月 No.21号

『つらい事も全部プラス』

今年最後と思われるマスターズ大会が12月5日に町田市立室内プールに於いて、第56回マスターズスイミングフェスティバルが行われました、50m平泳ぎに出場をする為、召集場に行ったら車椅子があり、そこには見た事のある、そう成田真由美さんである。健常者に混じって泳ごうとする頑張り屋がいたのです。

彼女はサポーターにプールの縁に置かれたビート板の上に降ろされ、待機していた。いよいよ女子最後のレースになり、出番になった。笛の合図と共にプールに入り、スタート台下のバーにつかまり構えるが、彼女の場合下半身が使えないので腕だけで構えている、スタートのピストルの音ですばやく反応をして、腕でバーを押し退けて反対側を向き飛び跳ねて泳ぎ始めた、テレビでも見た事のなかったスタートである、普通の人には絶対まねが出来ない事である、腕だけで自分の身体をあそこまで飛ばせるのはすごい。

そんな彼女は『つらい事も全部プラス』にして、練習をして来た。34歳になっても記録が伸び続ける水の女王は、試練をエネルギーに変えています。想像以上の結果を残す事が出来たんです。と語る成田真由美さんが舞の海さんとの対談でお話をしていたので付け加えておきます。

あれだけの練習をしたから自信があったし、絶対に世界新を出せるって思っていた。気持ちでは負けたくなかったので、私は試合前にライバルをとことん見下すんです。「私と一緒に泳ぐ気?」って。それが新聞に嫌な女みたいな書かれ方をして。コーチに「もう少しかわいく答えろよ」と言われました(笑)。でも勝負師だから、そういう風に受け取られてもしょうがないのかな。

シドニーでは本番の8ヶ月前に子宮筋腫の手術をして、げっそりやせた。シドニーからの4年間でも体調を崩し、薬の副作用で25キロ太った。そしてライバルだったカイ選手(独)が亡くなった・・・・・。

やはり、カイの存在は大きかったですね。アトランタで私は金を二つとったんだけど、カイは金三つ。悔しくて、それで負けん気に火がついちゃった。シドニーでは私が金6個をとったんですけど、カイはすでに体が本調子じゃなかった。シドニーが終わって、アテネというのは正直、まだ見えてなかったんですけど、(02年に)カイが死んでしまったという事実を聞いた時に、じゃあ私がカイの気持ちを引き継いで、カイと一緒にアテネで泳ごうと決めた。だから、カイがいなかったから私が一番になれたと思う背泳ぎの金メダル1個を12月にお墓に届けに行くつもり。やはりライバルでもあり大親友。言葉は十分に通じなくても、心で会話する事が出来た。メダルを届けたら、私のアテネ・パラリンピックは終わります。

今、振り返って思うことは、マイナスになることって何もない。昔のつらく悲しい出来事も全部プラスになって戻ってきている。どんな事も絶対乗り越えられる試練だと思っています。25k太った時も、薬の副作用で顔がどんどんむくんでいったけど、デジカメに撮り続けていったんです。いつの日か振り返って笑える日が来る事を信じていたから。

「講演などで、結果だけで判断するんじゃなくて、そこにたどり着くまでの過程の部分を一番知ってね」って言うんです。いきなりアテネに行って泳いで世界新を出せたわけではなく、トレーニングを毎日したから出せた。「私が特別すごいんじゃない、皆も同じ力を持っているから」と。

障害を持っている子供たちは「危ないから」と学校のプールに入れてもらえない事が多い。そういう子達に泳ぐ楽しさを教えられれば良いなと思います。

<後記>いろんな困難や苦しみからはい上がろうとする力が強いんですね。勝負師だけが持つ、勝気な雰囲気をまだまだ感じます。もしかしたら北京で活躍しているかも。我々に人間の底知れぬ強さを教えて欲しいです。(舞の海談)

なりた・まゆみ:神奈川県出身。アテネ・パラリンピック競泳女子(運動機能障害)の個人、リレーで7冠。世界新は6つ記録、パラリンピック3大会で15個の金を獲得、日本テレビ放送網勤務。

ガンバレ成田真由美さん。

               

四ッ谷遊泳塾編集部A

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